衰退の原因は、高度資本主義を打破できない焦りと絶望からくる自己破壊作用だといわれています。68年7月にハシュベリーで暴動が起こり、69年夏にはかつてハシュベリーに住んでいたチャールズ・マンソン一派の女優シャロン・テート殺人事件、さらに全米各地で「ヒッピーの凶暴化」による事件が相次ぎました。
またもう一つの理由として、ヒッピーを支えていたのがほかならぬ高度資本主義社会だったことが挙げられます。
大多数のヒッピーは中産階級出身とはいえ70年代までに100万人が家出、コミューンにいた300万人もの人々も政府の福祉政策に助けられていた。
しかし73年の石油危機、75年のベトナム戦争終結から起こった政府の財政赤字により対抗文化はほぼ息の根を止められたのです。