この記事を書いたのは:2023年2月1日です

コレクションからセレクションへ

【グループサウンズ商品主に写真買取】生前・遺品整理

グループサウンズ写真買取中
実際に買取させていただいた生前買取例をもとに当店の手順や想いのご紹介

申込~商品到着

当店は申込時には買取フォームページより買取希望のアーティスト名もご入力いただく (価格の安いアーティストや商品は送付前に事前にお知らせするため*ご希望額と相違がある場合は送付前にキャンセルも可能*)のですが、 「ザ・タイガース、ザ・テンプターズ」と記載がありました。

2000年からアーティスト商品の取扱専門店としてネットを中心に販売買取業務を行っておりますがグループサウンズの買取実績は多くはありません。 レコードやCDが主で、60年代や70年代のGSグループの掲載されている明星や近代映画などの雑誌が少し程度です。

今回はご送付(着払いにて対応可能)いただきました。
お申し込みから2日後に商品が到着しました。実際の箱と伝票↓
着払い伝票
梱包されていた箱
開封しました。
ザ・テンプターズの商品
グループサウンズの商品
グループサウンズの写真
当店は様々なアーティストの多種多様な商品を宅配で受け取り買取させていただいております。 一見すれば例えば粗末に扱っていたな(ホコリが付着していたり黄ばんでいたり傷みがあるなど保存状態が悪い)など、 所有所にとってどれほどの大切にしてきたものなのか大体わかるのですが、今回送っていただいた品は見ていただければ分かりますが、 封筒ごとに小分けで手書きでどういったものか日付と説明もありご本人様にとって宝物のようなものでとても大切に保管されていたのが分かります。 50年ほど前の物ですが保存状態もとてもよく、本来は捨ててしまってもおかしくない袋やチラシ類までも綺麗に残っておりました。 これから査定をさせていただく身としてはより一層気が引きしまる思いになります。
写真屋さん付属の封筒やアルバムも残っていました↓
綺麗にまとめられている買取品
写真屋さん付属の封筒やアルバム

その他にも公式プロマイドに付属していたビニール袋や会報が送られてきた時の封筒なども残っており、このように大切にされてきたことがわかるものは感動します。
(S.P.I.S(スパイダクションサービスセンター))の袋や封筒類。ご参考までに「スパイダクション」は1973年に「田辺エージェンシー」と現在の名前に改組されました。

スパイダクションサービスセンターの封筒
スパイダクションサービスセンターの封筒
ザ・テンプターズのファンクラブで売られていた公式写真のビニール袋
ザ・テンプターズのファンクラブで売られていた公式ブロマイド
ザ・テンプターズのファンクラブで売られていた公式プロマイド

できればお願い 1枚づつ1袋ごとに何の写真や商品であるのかなどメモ書きがあり大変ありがたいです。

写真などは買取させていただいた後に次の方に繋いでいくのに「いつ」「どこで」「だれ」がということが分かれば より具体的にその写真(商品)に対して想いを馳せることができますし、 自分の行った公演などを探している方にはピンポイントでお知らせすることができます。

特にGSが全盛だったころの日劇ウエスタンカーニバルの映像はほとんど残っていなく演奏中のステージの写真さえも出回ってません。 唯一パンフレットだけが頻繁に市場で取引されています。

GSはメンバーの入れ替わりが激しく、短命で解散したグループもたくさんあり特に後期はグループが乱立し「一人GS」「ガールズGS」「カルトGS」などもあり GSブームをリアルタイムで経験したスタッフがいない当店では追い切れておりません。

また遠方からの写真で被写体が見分けがつかないほど小さかったり、(白黒写真が主流であった当時の写真技術としては仕方ないのですが)顔が白飛びしていたりして 誰なのか?何のグループか?分からなかったり、(沢田研二さんだと思うが)確信がもてなかったりすることが多いので、写真の裏や付箋などでわかる範囲で メモいただけると大変ありがたいのです。

分かれば時期なども明記いただけると幸いです
例)昭和43年1月 第34回 新春日劇ウエスタンカーニバル

分からなけれな何も記載してなくて構いません。
またあいまいな場合は「●●だったと思います」など確認がもてず自信がない一文をいれていただければ幸いです
日劇ウエスタンカーニバルオープニングの写真ですが遠方から顔がはっきり分からずで誰かわからない
日劇ウエスタンカーニバルオープニングの写真
うつむいていて顔がはっきり分からずで誰かわからない
GSの写真
顔が白飛びしていて誰かわからない
グループサウンズですが顔が白飛びしていて誰かわからない
全体的に白飛びしていて誰かわからない
グループサウンズですが顔が白飛びしていて誰かわからない
ピンボケしていて誰かわからない
グループサウンズですがピンボケしていて誰かわからない
沢田研二さんだと思う(ギターを抱えているのが岸部修三さん??)のですが確信がもてない
沢田研二さんだと思う(ギターを抱えているのが岸部修三さん??)のですが確信がもてない
今回お売りいただいた方は下記のような感じで付箋&メモ書きしてくれてました。(参考になるように送る直前に書いたものではなく、現像した当初に忘れないようにメモ書きしたものだと思われます) グループ名など第三者で分かることが多いですが、いつの何の公演なのかはインターネットで検索しても分かるはずもなく 当事者だけが覚えていることなのでありがたく、これだけでもすごく大切にされてたことが分かり本当に頭の下がる思いです。
個人で撮影した日劇ウエスタンカーニバルの白黒写真
個人で撮影した日劇ウエスタンカーニバルの白黒写真
1967 池袋ドラム(年と場所が記載)
個人で撮影した日劇ウエスタンカーニバルの白黒写真
個人で撮影した日劇ウエスタンカーニバルの白黒写真
読むだけで思いが伝わります!
個人で撮影した日劇ウエスタンカーニバルの白黒写真
個人で撮影した日劇ウエスタンカーニバルの白黒写真
個人で撮影した日劇ウエスタンカーニバルの白黒写真
個人で撮影した日劇ウエスタンカーニバルの白黒写真
個人で撮影した日劇ウエスタンカーニバルの白黒写真
個人で撮影した日劇ウエスタンカーニバルの白黒写真
個人で撮影した日劇ウエスタンカーニバルの白黒写真
個人で撮影した日劇ウエスタンカーニバルの白黒写真
個人で撮影した日劇ウエスタンカーニバルの白黒写真

長年フォトアルバムに収納されていたので写真にその跡(油のように見える部分です)がそのまま残ってしまったと思われれるものも全体の2割ほどありました。 このような写真は2割ほどの減額査定となります↓
写真の汚れ
写真の汚れ
写真の汚れ
写真の汚れ
写真の汚れ

個人的に好きな写真6枚紹介
臨場感が感じられ個人的に好きな写真を6枚ご紹介させてください。
今回お売りいただいた方がザ・テンプターズのリーダーである松崎由治さんのファンであったらしく松崎由治さんおよびザ・テンプターズの写真類が 中心であったため必然と選んだ写真もザ・テンプターズのものが多くなりました。

プロが撮ったかのような「ザ・沢田研二」的な情熱的な1枚
ザ・タイガースプロが撮ったかのような「ザ・沢田研二」的な情熱的

ザ・テンプターズ 萩原健一さん
躍動感のある萩原健一さんが続きます^^
躍動感のある萩原健一さんの写真
躍動感のある萩原健一さんの写真
上半身裸(◎-◎;)!!
ザ・テンプターズ 萩原健一さん
「魂の叫び(U2)」的な構図
ザ・テンプターズ 萩原健一さん魂の叫び(U2)」的な構図
写真を撮られた方(当店にこの写真をお売りいただいた方)はこの時にここにいたんだなと想像するだけで感動すら覚えます。

多種多様なグループサウンズの主に写真をお売りいただきまし (お売りいただいた写真の一覧はこちらでご覧になれます)て いろいろお調べする過程で今まで表面的に浅くしか知識がなかったグループサウンズでしたが わずが4-5年ほどのGSブームの中ですごい数のグループが誕生していたり 安岡力也さんや寺尾聰さんがGS出身だったとは知りませんでした。
また当時の時代背景やその後のフォーク台頭で衰退していく様などを知るにとても興味深く奥深いことが分かりました。

ソロになってから「TOKO」や「勝手にしやがれ」などヒット曲を出していたころの沢田研二さんはテレビなどで見ていましたが、 その前のザ・タイガース時代の沢田研二さんは見たことがなく今回改めていろいろな映像をみると情熱的で色気がありなんともいえない 魅力があることが改めて分かりましたし、萩原健一さんも私の中ではいわゆる「ショーケン」と呼ばれるような個性的で浮世離れした言動のイメージが 強いのですがザ・テンプターズのどことなくフリフリの可愛い衣装を着せられた萩原さんもいいものだなあと感じました。

そして何よりも一番個人的に好きになったのは「ザ・ゴールデン・カップス」 名前しか知らなかったのですがめちゃめちゃかっこいいじゃないですかっ!! アルバムでいうと「リサイタル(渋谷公会堂)」度肝抜かれました。 当時は今のようにリアルタイムに海外の情報はやってこずバンドスコア(楽譜)なんてものもなく レコードを耳コピしてカバー演奏する ということが常だと思うのですが「いや~カッコイイ」 かなり素行も悪かったようですが、そういうことも含めてカッコイイ
当時 中高生であったなら間違いなくゴールデンカップス派であったろうなと思います。
ザ・ゴールデン・カップス/リサイタルCD

それからもう一グループ 後期の「ザ・ハプニングス・フォー」。後期というのが重要です。 当時の日本にもこんなプログレバンドがいたなんて(しかもGSグループ)驚きです。 技術の未熟なグループも多数いましたが、上記2グループのように技術的に非常に秀でたグループもいたりなんかしてとても興味深いです。


あとは侮るなかれザ・スパイダースの堺正章さんと井上順さんの掛け合いや、コミカルな振付を入れた洋楽カバー。これはこれできちんと成立してる スゴイ!
GSブームの衰退
ネットでもいろいろ情報があり、衰退の原因は1つということではなくいろんな要素があるようですが、 リアルにその時代を経験してきた音楽業界にいる著名人の著書が興味深かったです。

THE ALFEEの坂崎幸之助さんの著作「J-POPスクール」の中で少しGSに触れられている部分があります。 GSブーム時 坂崎さんは中学生であり、後に知り合う高見沢さんはかなりGSに詳しいそうです。
著作の中でGS衰退に関する以下の記述があります。
ちなみに1967年はビートルズの「サージェント~」が発売された年、日本では学生運動が盛んになりだした年。
1969年、GSに関しては冷めていたんです。 言葉、つまり、詞がつまらない。「雨がしとしと日曜日」とか「踊りに行こうよ青い海のもとへ」なんて、そんなことを歌っている場合じゃないだろう、 世界を見ろ、ベトナムを見ろってな具合に坂崎少年はこのころ社会派になってしまったんです。ぼくだけじゃなく GSが若者の支持を失っていく理由のひとつに自作自演問題もありました。 グループ・サウンズはシングル盤はプロの作詞家・作曲家が作った曲だったんです。 フォークが自作自演の「自分の歌」だったのに比べ何か違うんじゃないか、と聞き手も思うようになっていったんだと思います。 日本語のオリジナルという観点がGSにはどうも欠けていたのかもしれません。

知れば知るほどリアルタイムにGSを経験してきてないのが残念ではありますが、 わずかでも当時を感じることができればと初めて沢田研二さんのコンサート(神奈川県民ホール)行ってまいりました。 この日はクリスマスイブということもありサンタの帽子を被った沢田研二さんが登場し、 「きよしこの夜」から始まるという粋な演出でした。※当日の写真、ステージは撮影禁止なのでありません 一瞬であの時代に戻ることのできる・・・曲ごとに思い出がよみがえっている顔顔顔を見て、音楽って素晴らしいなと改めて思いました。 またGS物を取り扱いできるよう頑張りたいと思います。お読みいただきましてありがとうございました。

今回「日劇ウエスタンカーニバルにおけるGS遺産」ともいえるほど貴重な写真を中心にたくさんお売りいただきました。 本当に所有者の方が長年大切にされてきたもので手放す理由も「お金」のためでも「興味がなくなった」のでもなく 次の世代の方へこの貴重なコレクションを引き継ぎたいという想いから当店をご利用くださったのであろうと推測します。 直接会って話したわけでもなく、メールのやり取りの中で個人的なメッセージのやりとりをしたわけではないのですが 物を見れば想いが伝わってきます。 そういう想いを汲み取って次の方へこの貴重なコレクションを受け継いでいただく「丁寧に買取、丁寧に販売する」 もちろん事業としてやっているのですから利益を出すことは重要ですが、それだけじゃありません! 逆にいくらお金を積まれてもあまり大切にしてくれそうにないような方には売りません。 そのため今回のような特殊な商品を販売するときにはできる限り情報が欲しいのです。 すごく面倒だと思いますが「いつ」「どこで」「誰か」など明記の上、送っていただけると買取販売などあらゆる家庭の中で役立ち大変ありがたいのです。

今回買取させていただいた品を含めGS品は以下からご覧になれます。
https://www.hfitz.com/ag/junle/gs.html

↑PAGE TOP↑