販売買取専門店フィッツ
フィッツの歩み
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1999-2009年
2010-2019年
2020-2029年
2030年~
神奈川県相模原市
東京都町田市
相模原市-第二期
鎌倉市
1999
平成11年
インターネットオークション黎明期
後に代表となる神野大輔(音楽遍歴や個人年表はこちらから)は、普段から自分が聞く用にCDやレコードを買い、 聞き終わった後に不要なものをディスクユニオンやレコファンなどの中古CD屋さんに売っては その代金をもとにまた新しい音源を手に入れるということを繰り返していました。

そして1999年9月。
サービスを開始したばかりのヤフーオークションへ、 所有していたCDやレコードの出品を始めます。

当時は池袋のWebデザイン会社に勤務。(*当時の定期券)
趣味でレア盤・廃盤紹介サイト「HONEY FITZ」を立ち上げました。 ライブレポートやCDの紹介や掲示板やチャットまでありましたが販売や買取は行っていませんでした。 サイト名は、10代の頃に組んでいたバンド名に由来しています。「FITZ」の「Z」が「S」じゃないのは当時お付き合いしていた人がブリーダー(スピッツのファンの呼称)だったから。 バンド名の由来はジャズ・ボーカリストの「エラ・フィッツジェラルド」がたまらなく好きだったことによる。
当時はiMacが流行っていました。ISDN回線の時代でした。
▲HONEY FITZ
2000
平成12年
ITバブル到来
ヤフーオークションでは、思いのほかマニアックな作品も売れることが判明。 10代の頃からCDショップでアルバイト経験のあった神野大輔は、休日になると中古CD店を巡り、 知識と経験を武器に目利きで価値ある商品を探し続けました。 当時は現在のような相場検索サイトは存在せず、頼れるのは自分自身の知識だけ。 1万円で取引される商品が、100円で並んでいることも珍しくありませんでした。 まだ「せどり」という言葉すら一般的ではなかった時代。 まさに草創期でした。 世の中はITバブル真っ只中。 インターネットの可能性に多くの人が気づき夢を抱き出していた時代でした。
2001
平成13年
個人事業主として営業開始
会社員としての手取りは20万円弱。 しかしヤフオクでは、1日で20万円近い売上が立つ日も現れ始めます。 当時住んでいた神奈川県相模原市から職場の池袋まで満員電車で1時間。 両手には前日夜に梱包した大量のCDが入った紙袋。 その毎日に疑問を感じ、会社を退職。 個人事業主として独立し、本格的に事業をスタートさせました。
画像は法人成のため個人事業を廃止したときの届け出書類。開業時の書類は見つかりませんでした。
ipodが登場したのもこの年でした。
▲一部塗りつぶしあり
2002
平成14年
ネット販売開始
個人事業を開業後も専業だけでは食べていけず、CD屋さんでアルバイトの一方で「せどり」の日々は続きます。
NTTからフレッツISDN~ASDLが登場しインターネットの24時間接続が定額料金となったのもこの時期。自ら運営するホームページでも販売も開始。 データベースと元にショッピングカートを開発。独自の商品検索システムも設置。当時は大手の外資系CD SHOP以外にこれだけの機能を備えていたネットのCD SHOPはありませんでした。
家賃5万円のマンションを隣同士で2部屋借り、在庫と発送スペースを確保。
一歩ずつ、着実に事業を成長させていきました。当店のホームページ遍歴*リンク先ページ下部参照
ホームページの作成代行などの業務も個人で請け負っていました(法人設立する2004年まで)。 日韓W杯が開催された年です。
2001年ごろライブグッズ買取店フィッツのホームページ
▲2002年
2004
平成16年
会社設立
2004年8月23日。 有限会社フィッツを設立。
実は設立日には特別な想いがありました。
音楽の原点とも言える長渕剛さんの桜島オールナイトライブ。 本当はライブと同じ8月21日を設立日にしたかったものの、その日は土曜日。 法務局が休みだったため、週明けの8月23日が設立日となりました。
会社設立と同時に音符♪を模した当店ロゴも作成。HPも「HONEY FITZ」から「FITZ」へと変更。HONEYというワードがアダルトサイトっぽいので取り除きました。
当時は株式会社は資本金が1000万円、有限会社は300万円が必要であった時代です。
ネットショップというのも世間的には懐疑的(何か得体のしれないもの)で個人事業では不可能であった法人契約などを集結し前進。 自社販売の商品在庫点数も1万枚を超えました。
ヤフーオークションも利用が無料の時代で個人認証なども運営側のチェックは入らず自己申告のみであったため、いたずら出品や入札も数多くありました。 世はlivedoorプロ野球参入報道で騒がれていました。

法人設立届出書   出資金払込保管証明書
▲法人設立届出書と出資金払込保管証明書
2005
平成17年
町田市中町に事務所移転
せどり事業から撤退。お客様から不要になった商品を買い取る事業へと、大きく方向転換します。
さらにスタッフの雇用も開始しました。
町田市中町の事務所
▲中町の事務所(2005)
2007
平成19年
オリジナルTシャツ販売開始
町田市図師町に事務所移転と同時に、ロックテイストのオリジナルTシャツブランド「69t.JP」をスタートしました。 自社デザインによるアパレル展開への挑戦でした。翌年にはMy Space(当時流行っていたSNS)にて開催のSOIL&PIMP SESSIONS/Mode to John「BLUENOTE STREET」イベントTシャツ作成。他にはDESIN GARDEN主催「音を感じるデザインTシャツ」にて入賞(当時のパンフレットに画像あり)。
一方で今までは無料であった様々なネットサービスが有料化。ネットが産業として認知され、大なり小なり企業が参入。必然的に資金力のない個人などはサービスを模倣され 淘汰され競争が激化した時期でもあります。ブログやMixiが登場し新たなビジネスツールとなる一方で、チャットや個人日記などは勢いを失いました。
iphoneが登場しスマホ時代がいよいよ到来する夜明け前でした。
オリジナルTシャツ販売の昔存在していたサイト
▲69t.JP
2009
平成21年
再び相模原市へ移転
さらなる事業拡大に伴い4月に事務所移転。
音楽配信サービスの普及により、CDの価値は大きく変化し始めます。個人のCD屋さんを中心に閉店物件の買取依頼が増加。また大手も売り場の縮小や、お店の統合や業務形態の変更に伴い 問合せや見積依頼も増加。東は仙台、西は広島までとにかく出張買取・見積依頼が多い時期でありました。今思い返すとCD時代の終わりの始まりとでもいいましょうか。
世を取り巻く状況からCDに未来は無いと判断。フィッツは新たな可能性を求め、アーティストグッズの買取・販売事業へ参入。 当時はまだグッズ専門店はありませんでした。
主力商品はCDからグッズへ。
ホームページ↓も大幅に刷新。
▲2009年のHP
2009
7月
運命を変えた出張買取
アーティストグッズの取り扱い間もなく横須賀のお客様から松任谷由実さんのグッズ買取依頼が入ります。
透明な衣装ケース約15箱分。すべてユーミングッズ。
荒井由実時代の商品から、Tシャツは同じ柄で同じ生地色のものがそれぞれXS~XLサイズまですべて未開封で保管。
小物類も「使う用」と「保管用」と「予備保管用」と3つずつ所有する徹底ぶり。
その情熱に圧倒されました。
そして確信します。
グッズには必ず需要がある。
コレクターの想いが存在する限り、 この市場はなくならない。
フィッツの方向性を決定づけた、 忘れられない出来事でした。
ボロボロですが初心を思い出すように今でもその衣装ケースは使わせていただいてます。
衣装ケース
▲今も現役
2018
平成30年
神奈川県鎌倉市に事務所移転
2024
令和6年
法人設立から20年。
CDの売買から始まった小さな挑戦は、今も多くのお客様とともに歩みながら成長を続けています。
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