Led Zeppelin
最初こそバンド名を”ニュー・ヤードバーズ”と名乗っていたが、同年9月に行われたスカンジナビア・ツアーの時に”レッド・ツェッペリン”と改名された。
前作で名声と圧倒的な支持を得た彼らは翌年10月には2nd「レッド・ツェッペリンⅡ」を発表。ビートルズの「アビー・ロード」を押し退けて全英チャートの1位に7週連続で君臨。全米では300万枚以上のセールスを記録した。
ヘヴィ色を打ち出しながらもブルースやフォーク調のナンバーも収録した’71年の「レッド・ツェッペリンⅣ」。メロトロンを導入したりエフェクト処理やダビングに凝ることによって、実験的な作品に仕上がっている’73年の「聖なる館」。自分達のレーベル”スワン・ソング”を設立してからの2枚組スタジオ・アルバム「フィジカル・グラフィティ」をリリース。このアルバムに収録されている”カシミール”は後にアメリカ盤ゴジラのサントラ用としてパフ・ダディーがカヴァーしてヒットさせている。
このように前期はヤードバーズの流れの中からブルース的なものをやっていたが、中期を経て後期には次第にプログレ的なものにまで変化して行くことになるのであるが、人気の方は落ちることがなく’76年にリリースされた「プレゼンス」は全米、全英ともにナンバー・ワン獲得。’73年のマディソン・スクエア・ガーデンでのライブを収録した’76年発売の「永遠の詩」に至ってはチャートのトップ40以内に12週もランク・インしていた。'79年の「イン・スルー・ジ・アウト・ドア」ではサンバ風のナンバーまで収録しており、彼らの音楽的な幅の広さを見せつけるかのような作品であった。
順風満帆な彼らだったが悲劇が突然訪れる。’80年9月25日ドラマーのジョン・ボーナムが急性アルコール中毒で亡くなってしまった。この悲報にメンバーはもちろん、ファンや関係者も大きなショックを受け後任のドラマーを加入して活動を再開して欲しいというファンの声もあったが、’80年12月4日、「ジョン・ボーナムを失った今、レッド・ツェッペリンとして活動を続けていくことは不可能である。」というメンバーからのコメントがマナージメントから正式発表され、12年間の活動にピリオドを打ったのである。
’82年になって未発表曲や未発表テイクを収めた「最終楽章:コーダ」がツェッペリン名義で発表され、再結成か?と噂もされたが、3人のメンバーは個々の活動を始めたのであった。
ツェッペリン加入以前からプロデューサーやアレンジャーとして知られていたジョン・ポール・ジョーンズは、ポール・マッカートニーの映画「ヤア!ブロード・ストリート」に参加。サントラの方にもベーシストをして参加。他にもREMの「オートマチック・フォー・ザ・ピープル」、ブライアン・イーノの「ナーヴ・ネット」、ピーター・ガブリエルの「US」などにも参加し、他の2人同様精力的に活動している。