ロックンロールの先駆者、いわゆるロックンロール・ジャイアンツと言われて、 エルヴィス・プレスリーやバディ・ホリー、ビル・ヘイリー、リトル・リチャードなどと 並んでまず出てくるのがこのチャック・ベリーだろう。 "ジョニー・B・グッド"や" ロール・オーヴァー・ベートーベン"など超有名曲に見られる独特のイントロ、 テテテ、テケ、テケ、テケ、テケ…というフレーズはチャック・ベリーのトレードマークであり 、ロックンロールと人が聞いて思い出す雰囲気を象徴するのがこうした音で あることは言うまでもない。よく冗談として言われることだが、 もしこのフレーズに著作権があったらベリーは天文学的な単位を必要とする億万長者 になったに違いない、というのがある。それだけ頻度の高いロックンロールの イントロ・フレーズが正にこの音なのだ。
 チャック・ベリーの生年月日には諸説あり、プレス向けのデータなども安定しない。 1926年説とか’31年説とか、1月15日だ18日だ、10月15日だ、16日、18日だといろいろあったが、 とりあえず生誕60年記念コンサートのあった1986年を基準に、1926年10月18日、 セントルイス生まれというのが今のところ定説となっている。
 幼い頃はさほど音楽に触れていなかったと言われるチャック・ベリーだが、 ティーンエイジャーでギターを弾くようになった頃から、音楽に目覚め始め、 スウィング・ジャズやブルースなどをよく練習したそうだ。  40年代の中頃に軽い窃盗罪で捕まったベリーはその後3年間、少年院暮らしをする。 出所した彼はゼネラル・モータースの工場で自動車の車体組立工として働きはじめ、 また並行して美容学校の夜間部に通い美容師の資格をこの頃取得している。  50年代になるとベリーは結婚。この頃から小さなクラブでバンド活動を始める。 このバンドは’55年初めには黒人オーディエンスによって地元セントルイスの ベスト・バンドに選ばれている。またこの頃までには、ベリーは自作の曲を作るようになっていた。
 そんな中、休暇を利用してシカゴへ向かったベリーは、当地でブルースの巨人 マディ・ウォータズと出会い、彼の勧めでチェス・レコードのオーディションを受ける。 オーディションに持って行って演奏したのは自作の2曲。 "ウィー・ウィー・アワーズ"と"アンダー・レッド"という曲だった。
ベリーは前者の曲の方に自信があったのだが、チェス・レコードのオーナー、 有名なチェス兄弟はベリーが軽い気持ちで作ったコミック・ソング風の後者が気に入った。 ともあれタイトルとアレンジの変更を行った"アンダー・レッド"は、 記念すべきデビュー・シングル"メイベリーン"となり、 B面には"ウィー・ウィー・アワーズ"が収められた。  このデビュー・シングルに対する反応は早かった。伝説のロックンロールDJとして知られる アラン・フリード(黒人向けだったR&Bを、ロックン・ロールという言葉を使って広め、 それまでに無い若い白人を含むマーケットを開拓したロックンロールの歴史に欠かせない人物) がこの"メイベリーン"を気に入り、自分のラジオ番組でヘヴィ・ローテーション。 瞬く間に人気の出た同曲は’55年の夏から秋頃にかけてヒットし、 全米ヒット・チャート5位を記録した。この後すぐ、ベリーは米国ロックン・ロール・ファン の期待に応えて、短いながらツアーを敢行。その最初期の段階で以降彼のトレードマークになる 「ダック・ウォーク」を披露したと言われている (「ダック・ウォーク」はギターを弾きながら腰を落とし、 つま先だけでスピーディに歩き回るチャック・ベリー独特のパフォーマンス。 文字通りアヒルの歩く姿に似ているところからその名が付けられた)。