Luciano Pavarotti
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ロックのミュージシャンとのコラボレーションで故郷モデナでボスニアの 子供たちのための大規模なチャリティ・コンサートの模様

1935年イタリアにて生まれる。父親はパン焼き職人で、 アマチュア・テノール歌手として合唱団などで活躍。 母親はタバコ工場に勤めており、ミレッラ・フレーニと同じ保育所で育っています。 アリゴ・ポーラに師事してから本格的な声楽の勉強が始まる。 迎えて26才のときにレッジョ・エミーリアの国際コンクールに優勝。この時期に結婚も経験しています。 28才のときにはアムステルダムの歌劇場で“ランメルモールのルチア”のエドガルドを歌い 国外デビュー。
30才を目前にしてグラインドボーンで“イドメネオ”のイダマンテ。デッカと録音契約を結ぶ。 翌年初のオペラ全曲“テンダのベアトリーチェ”録音 スカラ座のトスカニーニ生誕100周年記念公演で、カラヤンの指揮によりヴェルディの レクイエムを歌い決定的成功を収める。
その後”ボエーム”のロドルフォでサンフランシスコ歌劇場にデビュー。 この頃に“キング・オブ・ハイC”とニックネームが名づけられる。 1971年イタリア歌劇団の一員として初来日。
“リゴレット”の公爵を歌いあげ大喝采を浴びる。 その後も精力的な活動を続け、1982年パヴァロッティ主演の映画“イエス・ジョルジョ”が制作、公開。 1986年デビュー25周年を盛大に祝うと共に中国ツアーを実施。 1990年ローマのカラカラ浴場跡で、ドミンゴ、カレーラスとともに“3大テノール/世界の競演” に参加。ベスト・アバム“Essential Pavarottli”がイギリス・ポップ・アルバム・チャートの 第1位になる。 その後ロンドンのハイド・パークで20万人を集めてコンサート。
1992年メトロポリタン歌劇場との初レコーディング“マノン・レスコー”。 スティング、スザンヌ・ヴェガ、ネヴィル・ブラザーズ、ズッケロ等といったそそうたる面々で ポップ/ロック系のアーティストと故郷のモデナで共演。このコンサートは “パヴァロッティ&フレンズ”というタイトルで以後、毎年おこなわれます。 1992年 6月26日、ニューヨークのセントラル・パークで50万人を集めコンサート。 1993年 ロサンジェルス・ドジャーズ・スタジアムで3大テノールのコンサートが行われる。 この時点でローマでの“3大テノール/世界の競演”は全世界で1,000万枚のセールスを記録。 95年、ボスニアの子供たちを救うために“パヴァロッティ&フレンズ2”がU2のボノ、 クランベリーズのドロレス、マイケル・ボルトン等とともに行われます。 1996年、東京を皮切りに3大テノールの世界ツアー。 活動は現在に移ります。