60年代後期のシスコ・ロック勢(サン・フランシスコを拠点に活動した
ブルース・ベースのアート・ロック、フォーキーなサイケデリックなど様々な
音楽要素を抱えたロック・バンド達の総称)の中でもその通好みな米ルーツ音楽の
ミクスチャーぶりと、独特の存在感・サウンドで異彩を放ったモビー・グレイプ。 彼らの当時の評判を伝えるもので、デビュー前、エレクトラ・レコードと 契約の話が進んでいた彼らを口説き落とし、彼らをコロンビア/CBSに迎え 入れることに成功した若手敏腕プロデューサーが語った、当時のサンフラ ンシスコで最高のバンドだったのがモビー・グレイプだった、という話がある。 身贔屓があるにしても、その後の会社のプロモーション失敗のせいもあっての セールス不振で、歴史上マイナーな存在に甘んじているモビー・グレイプがかなりの 実力派的存在だったかが分かる発言ではある。 ここ日本ではかつて、はっぴいえんど 、特にメンバーだった細野晴臣氏が バッファロー・スプリングフィールドと共にこのモビー・グレイプをフェイバリット に挙げていたことで、彼らの名は知られているし、もっと言えばそのはっぴいえんど からの影響を感じさせるバンド、サニーデイ・サービスの曽我部氏が、 |
2〜3年前に発表された元モビー・グレイプ・メンバーのピーター・ルイスの新作に
コメントを寄せていたことも思い出されるのだが、一般的に言ってモビー・グレイプ
が常に「もっと評価されていかるべきグループ」のひとつに甘んじている気がするのも否めない。
通好みのする、というのは勿論誉め言葉でもあるが、
個人的にはもっと多くの人に聴かれて欲しいグループの筆頭に挙げたいのがこの
モビー・グレイプなのだ。とにもかくにも短命な活動に終わりながらも、
ユニークな存在感で人気を誇ったモビー・グレイプの音楽にぜひ一度触れてみて頂きたい。 66年夏、サンフランシスコで結成されたモビー・グレイプ。 メンバーはジェファーソン・エアプレインの初期メンバーだった アレキサンダー・スキップ・スペンス(クイックシルバー・メッセンジャー・サービス にも在籍していたことがある)、Franticsに居たジェリー・ミラーとドン・ スティーヴンソン、南カリフォルニアでサーフ・バンドをやっていたピーター・ ルイス(母親は女優のロレッタ・ヤング。ハリウッド育ち)、そしてこちらも 南カリフォルニアで活動していたボブ・モズリー。その後モビー・グレイプはし ばらくサンフランシスコのローカルなクラブで演奏を続けていたが、そのうちに地 元のミュージシャンやサン・フランシスコを訪れたミュージシャン達の間で、彼らの 評判は高まって行った。 |
67年、デビュー・アルバム モビー・グレイプを発表。 ここではブギを基調としたブルースっぽいナンバーや、カントリー・ロックの 先駆ともいえるサウンド、そしてサイケを通過したユニークなフォーク・ロック などを聴かせている。彼らのデビューに際しては、コロンビアによって異例の売り出し 方が謀られた。関係者を集めての大々的なパーティーが催されたり、デビュー作からは 一挙に5枚のシングルが発売されるなど…。しかし、これがことごとく大ハズレ。 内容の方は充実していたものの、セールスが延びず、トップ・バンドへの道は早くも かなり険しくなる。 モビー・グレイプのサウンドの魅力はスキップ、ジェリー、ピーターによる3本のギターの絡み、 そして独特のコーラス・ワークなどにあり、またメンバー5人がそれぞれ曲を 書けるというところもバンドとしての強みだった。レコード会社のセールス展開の失敗で、 モビー・グレイプは大きな成功を収めることは出来なかった。 |