愛と平和を叫び、既存の文化には反抗し、反社会的、奇抜なファッションに瞳孔の開いた目、そして何者にも束縛されない自由な生き方ゆえの不自由さ・・・
そんなヒッピー文化を目にしたのはNHKの「20年後のウッドストック」とかいう番組だったように思う。
 

そこには流行などという言葉では語り尽くせない思想があり、文化があり、その一部は今でも世界のあらゆるところに残っている。映画「ウッドストック」ストーンズの「ギミー・シェルター」、あらゆる書籍、ヘイト(かつてヒッピー文化が最も栄えたアメリカ・カリフォルニア州にある都市)。60年代をリアルタイムに体験していない私にとって、ヒッピーを追ううちに見えてくる当時のアメリカの社会的背景は何とも刺激的で興味を惹くものでありました。
キューバ危機によるケネディー登場からはじまり、次第に全国に広がっていった公民権運動、そして勝利の末の結末はキング牧師の暗殺。ベトナム介入による国内の泥沼化、そのベトナムから撤退を宣言するはずだったダラスでのケネディ暗殺。すべて”死”という行為でしか答えを見出せないアメリカ社会・・・・・・そんなこんなで、ヒッピー文化を中心に60年代についても少し紐解いてみようという事で作ってみました。

 
ヒッピーの類語、他にも「フラワー・チルドレン」などの呼び方がある。1960年代に起こった新しい若者の動きは既成文化に対するカウンター(対抗、敵対、反抗)であり、アメリカ社会を専門家・技術者集団に操作・管理される高度資本主義社会と批判し、それに代わる思想、価値、生活様式を積極的に試み、このカウンターカルチャーがのちのヒッピー(ラブ・ジェネレーション)を生み出していく。


「愛の絶頂」を意味する俗語であり、67年1月14日。場所はサンフランシスコのゴールデンゲート公園内ポロ競技場。2万から2万5千人の若者がマリファナを吸い、香を焚き、フルートやハーモニカを吹き、タンバリンを鳴らし、花を配り、互いを褒め称え、裸で抱き合い、自分たちの作り出した集団の壮大さに感じ入った。これがヒッピー文化のクライマックスであり、"Summer of Love"とはこの年(1967年)の夏のことを指す。
しかし後にヒッピーたちの夢は幻想として打ち砕かれ、巨大な資本産業に彼ら自身、
そしてロック自身も飲み込まれることになったのである。
それによって今日ではマーケットのグローバルな拡大や、インターネットなどの
メディアの多様化や進歩から、アメリカやイギリスのローカルなインディペンデントの
レコ ードですら、我々は発売とほぼ同時に音源や情報を手に入れられることが
できるようになった。「ロックンロールはビジネス」となり、ミュージシャンはも はやサラリーマン同様、ヒット曲を作って生き残るか、淘汰されていくかとなった。